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教員生活 アイデア探索紀行

「アイデア満載!楽しさいっぱい!」の生活を求めるブログ

誰のための卒業式?

教育 子どもの見取り

今日は卒業式の予行があった。あと1週間程で今年度も終了。早かった。

卒業式。子どもたちは約1200日間、一生懸命学び、悩み、遊び、動き、成長してきた。その締めくくり。子どもたちはこの卒業式で卒業証書をいただくために頑張ってきたともいえると思う。


だからこそ「誰のための卒業式なのか」を我々は意識しなければならないと思っている。


歩き方や卒業証書のもらい方、呼びかけの声、姿勢、歌、一つ一つの指導に意味がないといけないはず。ところが、指導の様子を見ていると、その意味が伝わってこない。意味がなければ「教師の独りよがり」だし、意味が伝わらなければ子どもは動かない。


では、実際の様子はどうか。歩き方が悪いと怒鳴られる。聞く姿勢が悪いと怒鳴られる。呼びかけの声が小さいと怒鳴られる。行動が少しでも遅れると怒鳴られる。歌が合わないと怒鳴られる。

怒鳴られる。怒鳴られる。怒鳴られる。

子どもたちは、どんな思いでこの卒業式に向かっているのだろう。
自分たちの卒業式を成功させたいなどと思うだろうか?そもそも成功した卒業式って?



「先生方の思いは子どもたちに伝わっているのか?」そして「子どもたちの思いは先生方に伝わっているのか?」
私は後者の方が大事だと思っている。

呼びかけ一つとっても、子どもたちの思いは正直伝わらない。声は大きいが言葉に思いが乗っていないから。その言葉に子どもたちの思い入れが感じられないのである。
それはそうだろう。教師がつくり、子どもに割り振り、大きな声で言えという。子どもは言わされているだけになるのも当然だ。
子どもたちが教師と友と共にこの6年間を振り返り、自分の思いを言葉にして「呼びかけ」をつくったら、伝わる思いも全然違うんだろうなと思いながら聞いていた。(まあ、そんな時間も余裕もないだろうが)

歩き方、姿勢もそうだ。なぜよい歩き方、姿勢をしなければならないのか?「最後だから」では、子どもたちに伝わらない。よい歩き方やよい姿勢をしなければいけないのではなく、子どもたち自身が「どんな卒業式にしたいのか」を考えていれば「自分たちの最高の卒業式にするために」よい歩き方にもなるだろうし、よい姿勢にもなるだろうし、いい歌になるだろう。


「先生方や保護者が感動する卒業式」を目指すのではなく「子どもたちが感動する卒業式」を目指すべきだろう。そうすれば自ずと教師も保護者も感動するのではないだろうか?

分かっていても実行できないのが慣例の難しさ。だからこそ、この意識だけはしっかりもっていたい。


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