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教員生活 アイデア探索紀行

「アイデア満載!楽しさいっぱい!」の生活を求めるブログ

震災から6年

生活

あの大地震から6年。やはりあの日を思い出す。

6年生担任で体育館にいた。幸い体育館だったので、比較的安全な場所であったが、かなりの揺れを感じた。体育館の天井に上がっていたボールやバドミントンの羽など、いろいろなものが落ちてきた。子ども達を校庭に避難させ、子ども達のコート類を取りに校舎にもどる。学校の中はめちゃくちゃ。とにかく、子ども達のコートをとり、校庭にもどる。落ち着いた頃、体育館へ避難。しかし、雪が邪魔をし、外からなかなか入れない。揺れのためか、ドアも動きにくくなっている。なんとか体育館の中に入り、保護者へ連絡。

子どもを保護者に引き渡し、私が家に着いたのは9時ごろ。

家の中のものは大抵が無事だった。家族も無事だった。買ったばかりのテレビが落ち、傷がついたくらい。

水が出ないが、電気は大丈夫だった。しかし、この水が出ないのが大変だった。1週間以上水が出なかった。

そこで、職場にポリタンク(店を何件も回ってようやく手にした)をもっていき、水をもらうようにした。(本当はこういうことはいけないのだろうが、その時はそうするしかなかった。)その時担任した子どもの保護者の方からもご好意で水を始め、お米や食料をいただいた。本当に助かった。水を沸かし、それで体を流す。そんな日が何日続いたか。

しかし、水の調達も限界がくる。家から職場まで約1時間。距離にして約40キロメートル。ガソリンがつき、勤務することができなくなった。スタンドに並ぶこと5時間。それでも手に入れることができないことも多かった。

お店も閉まっている。臨時で開くスーパーには長蛇の列。何とか食べつないできた。その頃の記憶は必死だったのでどうやって生活してきたのか曖昧だ。とにかく、水とガソリンを求めたことは鮮明な記憶。それと原発。。。


今のクラスの子どもは記憶にあるようだが、断片的。当時1才だった娘は当然記憶はない。

今は、街も復興し、とりあえず不自由ない生活をしている。子ども達にとって、震災が身近ではない世代になってくるのだろう。しかし、街の中には仮説住宅がまだまだ立ち並んでいる。本当の復興はまだまだ遠い。

少しずつ少しずつ遠くなっていく震災の記憶。実際に経験した者達が語りつないでいかなければならないのだと思う。そうすることで自分たちもこの経験を忘れず、後世に伝えていけるのだろう。


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