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しがない教員の学校・学級・生活日誌

高いアンテナ・豊かな発想で生活を明るくするためのブログ

テスト用紙を見て思うこと

教育 子どもの見取り

学年末になり、まとめのテストをとっている。丸をつけながら、ふと(いつもだが)思う。テスト用紙を見ると、学習内容の定着度だけではない、その子どもの学びの在り方も見えてくる。

名前の書き方

まずは、名前の書き方である。テストを配られた後すぐに書くのが名前のはず。その名前を丁寧に書くか、いいかげんに書くかで、学習に対して向いている姿勢が分かる。

「名は体を表す」というように、自分の名前をしっかり書き「これは私の解答だ」という表れを見せてくれる子どもは確実に伸びる。今の成績がイマイチでも必ず伸びる。それは「自分を大切にし、自分の今までの学びを大切にしている」から。そのようなことを意識して子どもの書く名前を見てみると、本当に残念なものが多い。これはもっと日頃から意識しなければならない。

空欄があるか無いか

次は、解答用紙に空欄があるか無いかである。自分の考えを書く問題(思考・判断の観点の問題に多い)について、無答の割合が高くなる。まだ時間があるのに諦めて(?)終わってしまう。これも非常に残念である。自分で自分の学びを否定していることになる。「今までいいかげんに勉強してきたから、分かりません」と宣言しているようなものだ。

これは、振り返ると授業中に、決まった姿になって表れている。それは、一見真面目に授業に臨んでいても、友達の発表を聞いているだけで「分かったつもり」になっていたり、一生懸命ノートに書いていても、板書を写すだけで「考えたつもり」になっているのだ。普段自分で考えることから逃げているので(本人にはそんなつもりはないだろうが)テストで考えるはずがない。

それに無答で終わるのは、失礼だと思う。少しでも楽しく、分かりやすく学ばせたいと(先生方は思っているはず)授業の準備(先生方はやっているはず)をしているのに、それを否定しているのだ。
(※逆にいうと、教師のせいともいえる。考えたくなる授業ができていなければ、テストは尚更考えたくないだろう・・・)

返却後の姿

最後に、テストを返した後の子どもの姿である。私は、テスト返却後、一通り振り返りをしている。間違っている問題の確認はもちろん、当たっていても、もっと良い考えがあるかもしれない。そのため、時間はとってしまうが、原則的に確認する。その際、次のような子どもがいる。それは、

もらってすぐ、赤(青)で直し始める子どもだ。間違えたから直そうとするのは大事なことだ。しかし、この場面で行うことに少々疑問を感じる。「テストの後に自分で振り返ったから分かる」という子どももいるだろう。それはそれで良い。しかし、そのような子どもは一握りであり、そういう子どもは、話をちゃんと聞き、メモをしながら直している。そうではない子どもは、正解している友達の解答を写して直したことにしていることが多いように思う。結局「分かったつもり」「直したつもり」で終わるのだ。私は決まって言う。

「今、そんなに簡単に直せるなら、テストの時に正しい答えを書きなさい」

と。「自分がどういう解き方をしたのか」「どうして間違えたのか」などについて考えたり、振り返ったりすることは、次に繋がろう。やはり、振り返りの時間は大事にしたい。

まとめ

前の学校では、単元テストは行わなかった。テストは一面的なものであり、絶対なものではない。子どもの学びの全体像を捉えられなくなる可能性もある。しかし、見方によってはテストは、学習内容の定着度を確認するだけではなく、その子どもの学びの違った一面を捉えることに繋がるとも考える。

学年末だからこそ、いろいろな方向から子どもを捉えていきたいものである。


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