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教員生活 アイデア探索紀行

「アイデア満載!楽しさいっぱい!」の生活を求めるブログ

良い学級って?

教育

今までで「良かった学級」を考えると思い出す。それは、あの震災があった時の学級である。その時、私は6年生を担任していた。持ち上がりではなく、1年だけの担任であった。


この時の学校は単学級であった。このクラスを受け持つ前の年も6年生を担任していた。この時、当時5年生の彼らを見て「難しい学級そうだなぁ」と思っていた。見ていて何だかまとまりがなさそうで、一部の子どもたちが牛耳っているように見えたのである。そのため、この子どもたちを担任することに言われた時は、正直ガッカリしてしまった。


でも、担任してみると本当に素直な子どもたちばかりだった(その時は恐くしないと!と思っていたため、子どもたちも恐れていたのかもしれないが)。どの学級にもありがちな様々な問題もあったが、子どもたち自身で乗り切ってくれたと思っている。


この子どもたちが本当に育ったと感じたのはあの震災の日。大きな揺れの後、校庭に避難させた。その後すぐに私は逃げ遅れた子どもや火器の点検、子どもたちのコートをとるために校内に戻った。確認後校庭に帰ってきた時、子どもたちは自分たちで整列し、人数点呼をし、教務に報告をしていたのだ。実際に震災があると、人数点呼もできなくなるくらい、危機的な状況になる。担任としてこれはまずいと後から思ったが、子どもたちは「いつも先生がやっていたから」と、日ごろの我々の姿を見て、自分たちで行動していたのである。


今の学級もとても良いクラスだと思っている。大きな問題も起こさない。私がいないときでも、自分たちで何とかしている。しかし先日「本当に良いクラスってどういうクラスなんだろう」と悩む場面があった。それは、朝の学習の時間。前に配付しておいたプリントの残りをやることになっているのだが、時間が経っていて忘れてきた子どもが多くいた。私は特に怒らず(時間を経たせたのも悪かったため)「忘れた人は自分で必要だと思う課題をやりな」とだけ話した。すると、そのほとんどの子どもがボーッとしたままなのだ。


今まで「自分たちで何とかする子どもたち」だと思っていたが「自分たちで何とかする子ども」は、そういう時プリントを忘れたりしない一部の子どもたちだけだという事実を突きつけられたのだ。その子どもたちがいないと、学級が回らなくなるのだ。


思い返すと、あの震災の時の学級はどうだっただろう。やはり、一部の子どもで学級がまわっていたのだろうな。学級としてみたら、この学級も今の学級もとても良い学級であると思う。しかし、一人一人の子どもをみると、どうなのかと悩んでしまった。


あの時の子どもたちは今年高校を卒業する。一人一人が自分で社会への道を切り拓けていたら、本当の意味で「良かった学級」といえるのかもしれない。


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